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感性が理論を越えていく

 

被災者に届けと思いのこもったカズのゴール、カズダンス思わず絶叫し感激で目をウルウルさせてしまった。被災地のことを思うと、何かしたい、自分に何が出来るか、と皆が熱い気持ちを持っている。

一方で原発の問題に対して欝の感性が日本中で働いているような状況だと思う。これさえなければ、被災地に集約して注がれるエネルギーはどれだけ増強されることか、と考えると残念な気持ちにもなる。

この問題も長引いているうちに、原発反対!と、ただ反対するだけでは、意味が無いなんていう冷静な人も増えてきた。どうしていくのかまでを含めて考えて提案していかないと、と。

こういう人に、僕の意見を言うなら、「それはごもっともです、でも皆が代替え案を用意しなくちゃいけないんですか?ただ、原発は反対、イヤだ、と言うだけでは意味が無いと?」

どうでしょう。まず大きなものを一歩動かすのは、あさはかかもしれないが、感性がまっすぐに放つ意見ではないでしょうか。誰もが欝なんですよ、良いことなんて1つもないでしょう。1人1人がそれほど勉強し、理路整然と言葉を発しなくてはいけないでしょうか?そんな回り道をしているうちに感覚は消えうせてしまうのではないでしょうか。こういう面からは優等生指向が高く、シャイで、秩序を重んじる、結果として引っ込み思案、という国民性を感じてしまいます。

 

大きな話として、これから次第に、生物としての感性を重んじた動きかたを、人間は局面局面でしていく必要が出てくるような気がします。抽象的な表現ですが。

いずれ、というか近い将来かもしれない、サバイバル的な状況が全世界に襲い掛かってくるように思いますが、その時人間はどうやって種の延命を続けていけるのか、それともあっさりと瞬く間にこの世から消えてなくなってしまうのか。その辺の対応はどうなるでしょう、人間の脳はすぐれているから、理論的に状況を分析し乗り越えていく方法を導き出せるのでしょうか。

 

これで多分しばらく”欝”原発に関連した記事からはなれようと思います。

 

今のところ畑に打ち込める環境にあるので、小さくても自分の役割として全力で取り組む所存です。

3月は寒かった。畑の様子も今はまだ冬景色に近いですが、徐々に徐々に華やかに薫る”希望”の季節は到来間近です。自然農をしていることに喜びを感じます。

 

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