3週間以上も前に収穫したオクラ、2週間ほど前のモロッコインゲン、万願寺唐辛子、霜に当たって傷んだレタス等冷蔵庫の奥に眠っていたやさいを鍋に次々放り込んで、酒を加えコチュジャンを落として煮込む。
贅沢なおかずができた。
このやさいたち、古いといっても、見た目、歯ごたえ、食味、ほとんど変わっていないように思う。
これが”自然に沿った”栽培のなせる業なのかどうか、それはわからない。
これで朝飯食べながら、チラッと新聞に目をやると、”食品の「賞味期限」表示見直し”という記事が目に入った。
大量廃棄が背景にあるとのこと、”期限後も食べられます”と併記したらどうか、と検討されているそうだ。
そして思い出した。先日かみさんの実家で食事した際、コロッケにつけようとした練からしがどうも変だと思って賞味期限の記載を見たら2004年9月になっていた。コレじゃあ変なわけだ、ともう1つの方をつけて「コレなら全然平気だよ」と言いつつ食べた。賞味期限は2009年11月となっていたが、この記載はいらないな、とその時思ったのだった。
この記事を見ると余計にそう思う。
”賞味期限2009年11月・・・でもまだ食べられます ”
って、う~ん、どうなんだ・・・・・
何もそこまでお世話してくれなくてもわかることじゃないかな。見たり、嗅いだり、触ったり、感覚って誰でも持ってるでしょ。
腐っていたら、食べない。買わない。おいしくなければ、食べない。次から買わない。それでいいと思うけど。
以前の製造年月日表示に戻し、腐る前までは売場に置いて、その分値段を下げていけばいいんじゃないのかな。
心血注いでやさいという食べ物を作っている立場からすると、まだ全然いけるのにあっさり捨てられる、ということには耐えられない。腐るまではおいしく食べられる。多少傷んでいたって食べられる。
過敏な神経が過敏な体質を作り出すんだし、そうして人間は生命力の弱い生物に変わっていくんだ。
飽食の時代に生きていることが悲しい、と感じた。